ズボラなわたしが使えなかった収納
世の中には素敵な収納があふれています。
そして、こうすればいいという工夫もあふれています。
そんな中、みんなが上手に使いこなしている収納を真似してやったつもりなのに、ちっとも片づかない、という事を何度も繰り返しました。
おかしいなあ、どうしてかなあ。
ものは減らしたので、そんなに散らかった感じにはなりません。
でも、何かがおかしい。
使うはずのものが使えてない。
目次
そんな私はファミ片で子どもにとっての収納について学びます。
「子どもの性格にあわせた収納を」
「大人と同じでは難しいかも」
あれ、ひょっとして。
わたしって子どもと同じ?
ズボラでめんどくさがりの私には、普通の大人にできても、できない事があったんです。
うまくいかなかったクローゼット収納
私が全く使えなかったものに「クローゼットの中の引き出し収納」がありました。
クローゼットの中の引き出しは、いつも死蔵品か、からっぽで引き出しの上に何かが置かれていました。
つまり、
「クローゼットをあけて、引き出しをあけて、ものを取り出して、引き出しをしめて、クローゼットをしめて、ものを使って、クローゼットをあけて、引き出しをあけて、ものを片づけて、引き出しをしめて、クローゼットをしめる」
ことが私にはできなかったんです。
誰でもできることな気がするけど、そうやって字に書いてみると結構な手間だ。
このことに気づくのにずいぶんかかりました。
ズボラ向きの収納とは
私は、子どもと同じくらい、ちゃんと仕組みをつくらないと元に戻せない劣等生でした。
でも、ズボラな自分を自覚すると、自分にも使える収納が見つかりました。
クローゼットには、棚を置いて、かごを置きました。
引き出しをあけなくていいように。どこに何があるかクローゼットのドアを開けただけで一目でわかるように。
「きれいな収納」にいつまでたってもならない
収納の仕組みを作るときに、美しく整った収納にしたいと思っていたけど、ぜんぜん理想に近づかない。
おかしいなあ、どうしてかなあ。
でもそれは自分の片づけられる状態の理想だったんです。
私ができることは、私の本能が一番知っていた。
美しい収納は、そこが収納場所だと脳が認識してくれない。どこになにがあるかわからなくなる。ラベリングで字を読んでその箱をのぞきこむより、もの自体が少し見えていたほうがわかりやすい。
洗濯物がいっぱい干してある外国の風景が好きなわたし
いっぱいの洗濯物を干し終わったベランダを見たら幸せなわたし
そんなわたしは、生活用品を見るのが好きなんだ。
かごに入れたタオル、このかごにタオルを戻すのが好きなんだ。
見える収納にしたら、家の中をリセットするのが簡単になった。
見せる収納ではなく、見える収納。
収納に大事なのは、それぞれ違う。
自分を知ること、認めるのにものすごく時間がかかった私は、今、片づけられなくて悩んでいる人にだれより寄り添える気がする。