家の中にコレクターが居て片づかないという悩み

きれいにしたいけど、家族が協力してくれない…と思う事ってないですか?
私は、今までちっともきれいにしてこなかったのに、ちょっと自分が片づけるようになると、
「ちっとも片づけてくれない…」
と思っていました。
でも、同じ家に住んでいても、同じ考え方の人間なんていないんです。
違うから、苦手なところもお互い助け合える。
それに気づいたら、すごく楽に、というよりハッピーになりました。

コレクターの夫

実は夫は、コレクターです。
コレクターと言っても、一部屋趣味の部屋にして、というほどではなく、
好きなものをたまに買ってきては、家に飾る、そんな程度です。
そんな夫が何かを買ってくると、
「また買ってきた…」と思っていました。

自己理解と他者理解

親・子の片づけインストラクターで学ぶ内容に、こんな単元があります。
自分はこんな人間なんだ、こういう考え方なんだ、という事を知ることで、家族(世界の他の人々も含めて)との違いを知る、そして相手の個を尊重すると、関係がどんどんよくなる(相互理解に至る)という考え方です。

同じ家に住んでいてなぜ考え方がこんなに違うのか

「人は欠損に恋をする」と言ったのは、整形外科医で有名な高須克弥医師です。
完璧な人間には、自分の入り込む隙間がないから、恋ができないということ。
例えば、仕事はすごくできるけど、家のことになると途端に頼りない人が居たら、
「あのひと頼りなくて~私がいないとほんとにダメなんだから~」って思うけど、もしもその人が家事もできたら、一緒に暮らせない。肩身狭い、ってなってしまうから、恋心を抑えてしまうと。
なるほど。
そうやって考えると、パートナーに選ぶという事は、「相手が苦手なことが自分は得意」そして逆に「自分が苦手なことをやってくれそう」という図式が成り立ちます。家庭内の役割分担としてもうまくいくし、納得。
なのに、一緒の家に長く住むと、「なんでこんなこともできない」と思ってしまう。
よく考えれば、できなくていい(パートナーが補ってくれる)からしなくていいってなってるだけ。
一人でやるのが大変で困っていることなら、ちゃんと相手のことを考えてアプローチしたら、やってくれるようになるはずなんです。

自分の「~たい」と相手の「~たい」

「~たい」というのは欲求です。
おなか一杯食べたい、ドラマみたいな恋をしたい、いつかはあこがれのブランドのバッグを買いたい、好きなアーティストのコンサートに行きたい。

自分は片づけたい、家族は集めたい

自分が「片づけたい」から、家族の大切な物を「邪魔」「目障り」「捨ててほしい」と思ってしまうのは、
自分の趣味(~たい)の邪魔になるから相手の趣味をすみに追いやる行為です。
相手の「~たい」を大切にしてあげて、自分も好きになれば、うまく共存できるのかなと思います。

「これ、せっかくだからもっときれいにかざろうよ」

そんな一言を伝えて、ずっとカラフルな家で暮らしたいな、と思っています。
よく考えたら自分もコレクターだったし(笑)

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そして実は彼は収納が得意だった。
100均の突っ張り棒を使ってロボットを階段に飾った例(^^)/
私では背が届かないから、今度ほこりを取ってと頼んでみよう。